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ULTIMATE MISTRESS その2

麻生和花さんとの、怖い程の偶然が重なった出会いの日、アダマスの鞭練習会は部屋をD室からB室に移して続きました。
その間、和花さんは予約のお客さんで一時別の部屋に行かれたりしましたが、結局夜の8時近くまで、かれこれ4時間近く、鞭練習会は続きました。考えてみると、その後アダマスで鞭練習会という形の練習会は無かったと思うので、偶然にしてもスゴい偶然だったと思います。

僕がその日に取った行動は、鞭練習会から帰ると直ぐにアダマスに電話をし、和花さんとのプレイ予約をした事でした。12月15日、午後9時に予約が取れました。

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その日、僕は朝からテンパっており、何をやっても手に付かず、多分会社の回りの人達は『コイツなんかおかしい』と感じたと思います。漸く仕事場を出て中野に向かいます。車だったので、中野サンプラザ前の駐車場に車をとめてアダマスに向かいます。何だか初めて中野クイーンに行った時のような緊張感でした。

(多分)スタジオクイーンのC室だったと思いますが、そこで僕を待っていた和花さんは、こちらの『ド』の付く緊張とは正反対に、落ち着いて、にこやかに僕を向かえてくれました。

その日のプレイについては、鞭練習の日に『今度は本気でケインをやりましょう。』という話をしていたので、殆ど何の打ち合わせも無く、ケインプレイが始りました。細かい順序は覚えていないのですが、多分最初は両手を頭上に上げて拘束された形、続いてC室備え付けのフラットなベンチに真っすぐ腹這いになって打たれたのだと思います。もちろん、最初から手加減なしのケインで、それまで味わったことが無いような激しい苦痛でした。でも、さらに今までと違うことがひとつあったのです。それは和花さんの呼吸でした。和花さんはケインで打っていて、興が乗って来ると明らかい呼吸が変わるのです。少し興奮したような、浅くて、その分回数が多くなるような呼吸です。その小さな『ハッ、ハッ』という音は、まるで魔法のように僕を包みました。僕をケインで打ちながら、和花さんが興奮状態になってくれている!!これは僕とっては、ショックであると同時に巨大な喜びでした。和花さんのケインは呼吸が変わると、さらに激しさを増しますが、それにつれて和花さんの呼吸がアップテンポになるに連れて、僕が感じている苦痛の中の快感(?)も大きくなって行きました。

後日和花さんが御自分のブログで、『何度も、何度も押し寄せて来るトランス状態を止める事は出来なかった。』と書いて下さいましたが、それと同じ感覚を僕も味わっていたのです。

その日のプレイの中で、僕が忘れられない和花さんの言葉が二つあります。


『この後、又立たせて打つから。』
これは、和花さんが最初の立たせた状態から、ベンチでうつ伏せに寝た状態にして、かなり打った後でちょっとだけ休憩したときの言葉です。その段階で、すでに僕のお尻の皮は破れて血が流れていたのですが、和花さんがまだ僕を打つつもりだと分った時の、恐怖と興奮は今でも鮮明に覚えています。ちなみに、お尻から血が出る程のケインを受けたのは、もちろんその日が生まれて初めてでした。

『今私がとても楽しいのだから、私のために我慢するのよ。』

これは、その日のプレイの最後に近い時だったと思います。かれこれ2時間近くも容赦のないケインで打たれ続けたので、僕もかなり消耗しており、多分『もうダメです、許して下さい』みたいなことを口走った時に、和花さんの口をついて出て来た言葉です。この言葉にも、魔法の力がありました。和花さんの為に我慢しろ、と言われることは鞭やケインを受けている身としては、最高の言葉です。しかも、そのご本人が『楽しんでいる』と言ってくれているのですから、、。

中学生で鞭好きなマゾ気質を自覚してから、ん10年を経て初めて辿り着いた理想の鞭打ちは、実は極めて単純に『理想のミストレス』と出会うことで実現したのでした。そこには、なんの打ち合わせも、作為もありませんでした。
和花さんがしたいと思う事をし、それが僕にとって夢が現実になった、というだけの事でした。
その日のプレイが終わった時、何故か二人は同時に笑い出して、『面白かったねぇ』と言い合ったのでした。


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これはSardaxが描いた、麻生和花さんのポートレイトです。これは本当は僕がプレゼントしたかったのですが、僕が和花さんに『廃棄』されてしまった後に、別のマゾが和花さんにプレゼントした物です。よく描けていますが、本物の和花さんはもっとステキです。

夢のような最初のプレイから、幸せいっぱいの時期を過ぎて、廃棄されるまでのお話はまた次回で。




ULTIMATE MISTRESS

中学2年の時に雑誌『裏窓』で自分の性癖を自覚して以来、ん10年の歳月を経てついに『この人しかいない』というUltimate Mistressと出会う日が来ました。

前々回
、アダマスの鞭練習会のモデル募集に応募してオーケーをいただいたところまで書きましたが、その続きです。

この練習会は主として、その直前に入店した二人の新人ミストレスの為に開かれたものでした。

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そのお一人がこの方。藤好つかささんというミストレスでした(以下つかささん)。全く普通のお嬢さんという感じのちょっと不思議な雰囲気を漂わせるミストレスでした。

当日、例の待合室でかれこれ2時間程待たされた後で、スタジオ・クイーンのD室に入る様に指示されました。そこにはつかささんが待っておられ、『お休みの日にスミマセン』(当日は日曜だった)とごく当たり前に挨拶をされ、オーナーのせいらさんの指導の下で、一本鞭の練習が始まりました。
最初はぎこちなかったつかささんの鞭も、少し慣れて本格的に痛くなって来たころ、もう一人の新人ミストレスとアダマスの先輩のミストレスが加わりました。
その先輩ミストレスはどうやらとても気さくで、面倒見のよい上に、人見知りという感覚が皆無な方らしく、つかささんの鞭が僕のお尻をキレイにヒットする度に最初から遠慮はゼロで、

『どう、痛い?』と訪ね、僕が『ハイ』と返事をすると、

『どこがどう痛いか、チャンと言って』と命じます。その言葉使いが何やらとても自然に支配的で、僕はこの人は持って生まれたミストレスの素質のある人だと密かに考えておりました。

そのうち、せいらさんが他の用事が出来たらしく、

『じゃぁ、和花ちゃんお願いね』と言いながらD室を出て行かれました。そこで僕は、僕に痛さや痛い場所を報告させているミストレスが、麻生和花さんであることを知りました(以下和花さん)。

和花さんはとても熱心に指導を続け、当然の成り行きで和花さん自身が僕を叩いて『お手本』を示すことになりました。
それまでのつかささんの鞭とは比較にならない、強烈な鞭がビシビシとお尻に飛んで来ます。うめき声を上げて耐える僕に和花さんが正確に痛みに程度を言えと命じて来ます。つかささんに打たれているときは、まだ多少の余裕があって対応していたのですが、和花さんの強烈な鞭の下では悲鳴を上げないように耐えるのが精一杯です。ひとしきりお手本を示した後は、もう一人の新人ミストレスの朱香音さん(あかねさん)と交替して、鞭練習が続きました。

決定的な出来事が起こったのは、鞭練習の休憩時間の事でした。それまでずっと床に四つん這いで打たれていた僕に、つかささんが冷たいお茶を持って来て下さり、和花さんを交えて雑談となりました。とりとめのない話をしていた時、急に和花さんがケインを持って来て、『私、こういうケインをやりたいの』と言い出したのです。和花さんはそれをMood Picturesのサンプル動画で見たこと、そしてその中の一人の女性がやっていた、全力でケインを叩き付ける打ち方をやってみたいと思っているというお話をされました。

これが全くの偶然で、僕が気に入っていた動画と一緒だったのです。しかも恐ろしいことに、その日僕はアダマスの鞭練習の時に『もしかしたら見せるチャンスがあるかもしれない』と考えて、そのサンプル動画を入れたパソコンを持参していたのでした。

『その動画僕持ってます』と言った後、僕は急いでパソコンを立ち上げ、その動画を和花さんと一緒に見る事になりました。

『あ〜っ、これこれ〜!!』和花さんが嬉しそうな声を上げました。そして、

『ねぇ、これやってみよう!!』という話になったのです。

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これがその動画。Mood Picturesの初期の作品でThe Jail Yard CPという作品です。下の写真の女性が構えているように、頭上高くケインを構え、そこから一歩踏み込んでケインを振り下ろし、全体重を乗せてお尻を叩くという打ち方です。

もうその時点で和花さんの魅力に感染していた僕が断る理由は何もありません。

D室に置いてあった椅子を即席のスパンキングベンチにして、お尻を突き出した姿勢を取った僕のお尻を、和花さんが全力のケインで数発叩きました。最初の1〜2発は少しお尻を外れましたが、のこりの4〜5発は正確に僕のお尻の中心部をヒットし、ものすごい痛みが走りました。思わず本気で悲鳴を上げた僕の耳に、和花さんの独り言が聞こえて来ました。

『ダメだ。これ以上やったらた歯止めが効かなくなっちゃう。』

この素晴らしい一言を効いた瞬間から、和花さんは僕のULTIMATE MISTRESSになりました。

和花さんとの忘れられない最初のプレイのお話はまた次回で。















PixyからAdamasへ

桜井ありかさんのところには、一年以上に渡りかれこれ10数回通いました。徐々に親しみも増して、SM以外のお話をする機会も出来たりしたのですが、ある時からスタジオ・クイーンの中での受付ではなく、隣のビルの部屋での受付に変わり、さらにプレイ場所もスタジオ・クイーンではなくなり、、、と、その頃から色々と難しいことになっていたようです。
詳しい事は分りませんが、風俗営業法の改正(改悪?)によって、プレイルームとSMクラブの運営を分離する必要が生じ、その辺の対応に苦慮されていたようでした。

結局Pixyは2年足らずで閉店となり、その後からAdamasが営業を開始しました。Adamasは僕が色々な意味でとてもお世話になった赤星せいらさんがオーナーの、非常にコンセプトのハッキリとした本格的なSMクラブでした。ラシオラもそうですが、オーナーの考え方がしっかりしているSMクラブというのは、芯が一本しっかり通っているようで、ステキなミストレスが次々と育って来るという感じです。

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せいらさんは御自分の写真を見るのが嫌いという方なので、お顔の見えない写真で我慢していただくしかありませんが、ちょっと冷たいと感じるくらいクールな美人さんです。見る人が見れば、この写真でもせいらさんの雰囲気はよく分ると思います。

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せいらさんと言えば一本鞭というのが、僕の印象です。秘蔵の一本鞭で約2時間打たれたことがありますが、とても印象的な時間でした。

と言いながら、せいらさんとちゃんと(つまり1対1で)プレイしたことは多分2回程しかなく、殆どの接触は僕がプレイをしている他のミストレスとのプレイ中にせいらさんが覗きに来られたという状況か、Adamas独自の『練習会』での接触でした。

Adamasの素晴らしさの一つが、プレイルームを持っているせいで、ミストレス達が何時でも縄や鞭の練習が出来るという点にありました。さらにせいらさんがとてもキチンとした考えをお持ちで、『安全』とか『衛生』については、所属するミストレスを定期的に集めては講習会を開いて指導をされていました。

その中で、僕のマゾ人生に決定的な影響を与えることになったミストレスとの出会いがあったのです。

多分2006年の11月だったと思いますが、『鞭練習のモデル募集』という記事がせいらさんのダイアリーに載りました。当然ですが、それを見た僕の反応は『僕しかいませ〜ん!!』というもので、早速応募したところ、暫く経ってから『ではお願いします』という連絡をいただきました。採用された理由なのですが、当時僕がプレイをお願いしていた姫野珠子さんというミストレスが推薦をして下さった結果、『珠子ちゃんの推薦なら大丈夫』ということで採用となったらしいです。

そして、そこで僕のマゾ人生のその後を決める、決定的な出会いがあったのですが、その話をするには多少の気合いが要るので、次回とさせてもらいます。

中野クイーンからPixyへ

中野クイーンの破綻を知ったのは、ありささんとのプレイ予約を入れるために電話をした時でした。

『お客様のお掛けになった電話番号は、相手側の都合で掛からなくなっております.』というアナウンスが流れて来たのです。間違いかと思って何度も掛け直しましたが、翌日もその次の日も電話が掛かることはありませんでした。

諦め切れない僕は、会社が終わってから車で中野クイーンの前まで行ってみましたが、例の階段の下に置いてあった『スタジオ クイーン』という電飾看板はそのままでした。でもその階段を上がって、お店が無事かどうかを確かめる勇気は僕にはありませんでした。

その後暫くは茫然自失でしたが、マゾという生き物に『絶望』の二文字はなく、暫くすると別のSMクラブに電話を掛けて自分の新しいSMシステムの建設に掛かっておりました。

その頃行った中で唯一複数回通ったのが、六本木のレーヌでした。六本木ロアビルの確か五階か六階にあったと記憶しています。ここは、中野クイーンよりはるかに狭く、ドアを入ると直ぐに待合室(というより待ち合いスペース)があり、その奥に確か2部屋程度のプレイルームがあったと思います。レーヌには別の階にもプレイルームがあったらしいですが僕は使ったことはありません。レーヌでのプレイでは、楽しい記憶は殆どなく、どのミストレスもあまり熱意の入らない、従ってお互いにかなり冷めた感じのプレイに終始したのだと思います。その頃は、『やはり僕は日本のSMは向いていないなぁ、、』と何度も思ったものです。(でもSMクラブには通っていた!!)

レーヌ以外のSMクラブも何軒か行きましたが、結果はレーヌよりもっと悲惨で、2回以上通った店は皆無でした。

ところが、とある機会に中野にフォービドゥンというSMクラブが出来て、そこは元の中野クイーンのスタジオを使っているという情報をゲットしたのです。

早速フォービドゥンに電話を掛けて、久しぶりに中野クイーンのスタジオに向かう階段を登ったのはその数日後でした。

そこで出会った女王様が、桜井ありかさんでした。
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もう現役のミストレスではないので、目の部分を黒く潰してあるのが残念ですが、スラリとした正真正銘の美人さんで、最初にお会いして恐らく5秒くらいは、びっくりして呆然としておりました。

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桜井ありかさんは、最初はフォービドゥンのミストレスとして、その直ぐ後からはPixyのママさんとして、多分10数回プレイをさせてもらいました。

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何しろ飛び切りの美人さんだったので、『憧れの人に苛められる』という僕の長年の夢をかなえて下さったのはこの方でした。

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プレイスタイルは、当時の日本のミストレスとしては『イケてる』方だったと思います。とても生真面目な方という印象が強く、僕の希望を何度も何度も確認して、それを出来るだけ忠実に再現して下さいました。ところが、僕は極めて変てこなマゾで、その桜井さんの『プロとしての生真面目さ』が不満だったということに、僕自身が気付いたのは大分あとになってからです。

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桜井ありかさんがよく使って下さった長鞭です、ヒュンという空気を切る音がステキな鞭でした。

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桜井ありかさんは、かなりの数の動画にも出演されており、この写真もその動画のひとつからカットしたものと思います。

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多分身長170cmを超える長身のミストレスで、(僕は違いますが)長身ミストレスに憧れるマゾ達からは絶大な人気があったと思います。

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この写真みたいなプレイはよくやっていただいた気がします。(とても楽しかった^^)

桜井ありかさんは、そのキャリアの後半には何度かシカゴに行かれて、シカゴのダンジョンでもプレイ経験がお有りになったと思います。

繰り返しになりますが、桜井ありかさんは、とてもプロ意識の高い、ある意味典型的な正当派プロフェッショナルミストレスでした。マゾに対する対応もとても親切、丁寧で、プレイ以外ではとても優しいミストレスでした。ただこの時点での僕は自分の深層心理では、僕の希望やら限界やらを無視して徹底的に痛めつけてもらいたいと自分が思っていることを自覚しておらず、その為桜井ありかさんとのプレイでも、常に何かが満たされていない気分である理由が分らなくて堂々巡りをしていた気がします。自分の本当の欲望に気付くには、僕がUltimate Mistressと思ったミストレスとの出会いが必要だったのですが、その話はもう少し先になります。

次回はPixyがアダマスになる頃のお話です。

中野クイーンのこと その2

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中野クイーンは作家の山田詠美さんが所属していたことがあるとか、有名な緊縛師がベースにしていたとかいった事で、マゾの聖地みたいな言われ方をしていますが、少なくとも僕にとってはあの設備が価値の99%だったと思っています。

今あれと同等の設備を求めれば、東京ではアルファインがあるだけで、そのアルファインといえども中野クイーンの設備には敵わないと思います。

アルファインにも共通しますが、マゾの悲鳴と汗と妄想を充分過ぎる程吸い込んだあの空間の重〜い空気は、他にはない特有の空間を作り出していたのではないでしょうか?

僕が中野クイーンに通い始めたのは、中野クイーンの全盛時代の後なので、その意味では本当に良かった中野クイーンの事は知らないのかもしれませんが、、。

そんな訳で、僕の中野クイーン時代の思い出というのは、散文的になってしまいますが記憶に残っていることを少し、、。

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ナナさん
前回、中野クイーンで熱中したのは、ありささんという女王様だけだと書きましたが、その前に5〜6回続けてプレイをした女王様がいらっしゃいました。ナナさんとおっしゃる女王様で、中野クイーンの後六本木のレーヌにも在籍されたことのある女王様です。ナナさんは、ある意味では『正当派女王様』の典型のような方で、マゾの限界を無理に超えることはしない女王様でした。その意味では安心してプレイ出来る女王様なのですが、その点が僕にとっては不満の種になっており、何時もちょっとだけ満たされない気分で帰っていた記憶があります。ナナさんはスタイルも良く、美人さんで、マゾとの約束をちゃんと守って下さるのに、それだけがこちらの不満の種になるという、ナナさんには何の罪もない、訳の分らないマゾ心理の犠牲者みたいなことになってしまっていたと思います。ナナさんとのプレイで記憶に残っているのは、1メートルくらいの竹の物差しを使ったスパンキングで、これだけはナナさんも好きだったらしく、僕が結構な悲鳴を上げても笑いながら続けて下さったと記憶しております。残念なことに、その頃中野クイーンは全盛時代を過ぎて少し下り坂だったようで、在籍している女王様同士に軋轢があったらしく、僕がナナさんの予約をしたくて電話をしても、電話に出た他の女王様に意地悪をされて中々予約が取れないという、ある意味SMクラブの裏側の事情を覗き見るようなこともあったりしました。

良子さん
実は最初に中野クイーンに行った時に受付をして下さったのが、良子さんでした。大変失礼な話なのですが、受付の時にごく普通のセーターとスラックスという格好をしておられたので、僕は良子さんを受付事務の女性と思い込んでしまいました。だから、受付が終わって暫く待った後で改めてボンデージ姿の良子さんが現れた時は、ちょっと驚いたというのが本音でした。良子さんは、如何にも中野クイーンの女王様らしく、縛り、鞭、アナル等々SMプレイの全領域でのスキルを持った、本物のプロ女王様でしたが、僕にとって唯一問題だったのは、良子さんの声の質が僕の姉貴の声と酷似しており、プレイ中に声を聞くと我が姉貴に苛められているような気分になって、途端に冷めてしまうという傍迷惑の典型なようなことになってしまった女王様でした。(今さらですがゴメンナサイ。) 良子さんとのプレイで忘れられないのが、最初のプレイの時に色々な鞭で叩いていただいた後で(はっきり言って大して痛くないので、かなり不満だった)、どうやら僕の様子で不満そうなのを分ったらしく、それまで使っていなかった鞭を取り出して来てお尻を叩いて下さったときの事です。たった数発でしたが、それまで小説などで目にしていた『焼け付くような痛みがお尻に走った』という表現通りの痛みで、それまでの不満が吹っ飛んだのを覚えています。それにしても、あの鞭(あるいはケイン?)は何だったのかなぁ、、?

受付
中野クイーンと言えば、中野南口商店街からの急な階段が有名で僕も強い印象が残っていますが、もう一つ忘れられないのが、『受付』です。そもそも心臓が爆発しそうなくらいテンパっている状態で、中野クイーンの入口に辿り着き、やっとの思いでドアのチャイムを押すのですが、それから『ハイ、どうぞ』といってドアのロックが外されるまでの時間が微妙に長く、当人にとっては永遠に思えるくらい長く待たされてから(今思えば、それも既にプレイのウチかと思える程、マゾの身分を思い知らせる絶妙の演出だった)漸く中野クイーンの領域の中に入ることを許されたのです。その次に待ち受けている試練が『受付』というプロセスです。今時は全てのSMクラブで入会時のカウンセリングがありますが、中野クイーンでは入口を入って左側のカーテンで仕切られた、人一人がやっと座れる程度の狭いスペース(それが3つ繋がっている)に座らされ、又々永遠と思われるくらい待たされた上で、極めて事務的なスタイルの女性が現れて、マゾの好みやら、NGプレイやら、希望する相手の女王様やらについて質疑応答をしてくれます。ただこのプロセスが行われている場所が、恐ろしく狭い場所であり、隣とは薄い仕切り一枚しかない状態で聞かれ、答えるので、『僕はアナルを見られながらお尻を突き出して打たれるのが好きです』なんて、口にするのも恥ずかしいことを言わされるのは、すでにその時点で羞恥プレイ状態でした。また、その話を聞く女性が全く普通の格好をしているので、恥ずかしさがさらに強調されていたと思います。 今冷静になって考えてみると、中野南口商店街からの急階段、ドアの前での待ち時間、そして普通の女性のような人の前での自分のマゾ性の告白というプロセスは、それだけでん万円のプレイ代金に値するくらいの見事な精神的SMプレイだったと思います。

ありささんとのプレイ
ありささんからは、生まれて初めて本格的な鞭打ちをしてもらい、中野クイーン閉店までずっとありささんの下に通ったのですが、ひとつ思い出深いプレイの記憶があります。僕の記憶違いでなければ、当時の中野クイーンの部屋には、備え付けの縄がありました。プレイ中にその縄を使うことがあると、プレイ終了時にミストレスが手際良く縄をまとめて、元あったところに戻していたのです。ある時、僕の両手、両足を縄で拘束して鞭で打った後、突然ありささんに命令されました。

『これ、片付けて』とありささん。

『・・・・・・』突然の予期せぬ命令に反応出来ない僕。

『今まで、片付けるの見てたでしょう』というありささんの顔には、意地悪〜な表情が浮かんでいたと思います。

それまで、プレイ後にありささんがスゴく手際良く縄を片付けるのを、手伝いもせず、ぼ〜と見ていた僕が、縄の束ね方やら、端末の処理の仕方を覚えていないのを承知した上でのお仕置きの始りです。

『何やってるの』という言葉と同時に、鞭がお尻に飛んで来ます。

『・・・・・・・』依然反応出来ない僕。縄のまとめ方は何となくわかる気がするのですが、端末の処理の仕方なんて、全然覚えてません。

それから、多分10分か15分の間だったと思いますが、しどろもどもの言い訳をする度に、鞭で叩かれ、叱られ、さらに鞭で叩かれながら、漸く数本の縄を片付けて、元々会った場所に戻す事が出来ました。このプレイで初めて僕は自分が無能力化される経験をしました。最近では、鬼様によってしょっちゅう無能力化されておりますが、最初の経験は強烈な印象となって残っています。自分の頭が一分間に一回転程度しか回らなくなる状況で、鞭で叩かれ、叱られるというのは、自分がマゾ以外の何者でもないことを自覚させられる貴重な体験でした。

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