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中野クイーンのこと その2

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中野クイーンは作家の山田詠美さんが所属していたことがあるとか、有名な緊縛師がベースにしていたとかいった事で、マゾの聖地みたいな言われ方をしていますが、少なくとも僕にとってはあの設備が価値の99%だったと思っています。

今あれと同等の設備を求めれば、東京ではアルファインがあるだけで、そのアルファインといえども中野クイーンの設備には敵わないと思います。

アルファインにも共通しますが、マゾの悲鳴と汗と妄想を充分過ぎる程吸い込んだあの空間の重〜い空気は、他にはない特有の空間を作り出していたのではないでしょうか?

僕が中野クイーンに通い始めたのは、中野クイーンの全盛時代の後なので、その意味では本当に良かった中野クイーンの事は知らないのかもしれませんが、、。

そんな訳で、僕の中野クイーン時代の思い出というのは、散文的になってしまいますが記憶に残っていることを少し、、。

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ナナさん
前回、中野クイーンで熱中したのは、ありささんという女王様だけだと書きましたが、その前に5〜6回続けてプレイをした女王様がいらっしゃいました。ナナさんとおっしゃる女王様で、中野クイーンの後六本木のレーヌにも在籍されたことのある女王様です。ナナさんは、ある意味では『正当派女王様』の典型のような方で、マゾの限界を無理に超えることはしない女王様でした。その意味では安心してプレイ出来る女王様なのですが、その点が僕にとっては不満の種になっており、何時もちょっとだけ満たされない気分で帰っていた記憶があります。ナナさんはスタイルも良く、美人さんで、マゾとの約束をちゃんと守って下さるのに、それだけがこちらの不満の種になるという、ナナさんには何の罪もない、訳の分らないマゾ心理の犠牲者みたいなことになってしまっていたと思います。ナナさんとのプレイで記憶に残っているのは、1メートルくらいの竹の物差しを使ったスパンキングで、これだけはナナさんも好きだったらしく、僕が結構な悲鳴を上げても笑いながら続けて下さったと記憶しております。残念なことに、その頃中野クイーンは全盛時代を過ぎて少し下り坂だったようで、在籍している女王様同士に軋轢があったらしく、僕がナナさんの予約をしたくて電話をしても、電話に出た他の女王様に意地悪をされて中々予約が取れないという、ある意味SMクラブの裏側の事情を覗き見るようなこともあったりしました。

良子さん
実は最初に中野クイーンに行った時に受付をして下さったのが、良子さんでした。大変失礼な話なのですが、受付の時にごく普通のセーターとスラックスという格好をしておられたので、僕は良子さんを受付事務の女性と思い込んでしまいました。だから、受付が終わって暫く待った後で改めてボンデージ姿の良子さんが現れた時は、ちょっと驚いたというのが本音でした。良子さんは、如何にも中野クイーンの女王様らしく、縛り、鞭、アナル等々SMプレイの全領域でのスキルを持った、本物のプロ女王様でしたが、僕にとって唯一問題だったのは、良子さんの声の質が僕の姉貴の声と酷似しており、プレイ中に声を聞くと我が姉貴に苛められているような気分になって、途端に冷めてしまうという傍迷惑の典型なようなことになってしまった女王様でした。(今さらですがゴメンナサイ。) 良子さんとのプレイで忘れられないのが、最初のプレイの時に色々な鞭で叩いていただいた後で(はっきり言って大して痛くないので、かなり不満だった)、どうやら僕の様子で不満そうなのを分ったらしく、それまで使っていなかった鞭を取り出して来てお尻を叩いて下さったときの事です。たった数発でしたが、それまで小説などで目にしていた『焼け付くような痛みがお尻に走った』という表現通りの痛みで、それまでの不満が吹っ飛んだのを覚えています。それにしても、あの鞭(あるいはケイン?)は何だったのかなぁ、、?

受付
中野クイーンと言えば、中野南口商店街からの急な階段が有名で僕も強い印象が残っていますが、もう一つ忘れられないのが、『受付』です。そもそも心臓が爆発しそうなくらいテンパっている状態で、中野クイーンの入口に辿り着き、やっとの思いでドアのチャイムを押すのですが、それから『ハイ、どうぞ』といってドアのロックが外されるまでの時間が微妙に長く、当人にとっては永遠に思えるくらい長く待たされてから(今思えば、それも既にプレイのウチかと思える程、マゾの身分を思い知らせる絶妙の演出だった)漸く中野クイーンの領域の中に入ることを許されたのです。その次に待ち受けている試練が『受付』というプロセスです。今時は全てのSMクラブで入会時のカウンセリングがありますが、中野クイーンでは入口を入って左側のカーテンで仕切られた、人一人がやっと座れる程度の狭いスペース(それが3つ繋がっている)に座らされ、又々永遠と思われるくらい待たされた上で、極めて事務的なスタイルの女性が現れて、マゾの好みやら、NGプレイやら、希望する相手の女王様やらについて質疑応答をしてくれます。ただこのプロセスが行われている場所が、恐ろしく狭い場所であり、隣とは薄い仕切り一枚しかない状態で聞かれ、答えるので、『僕はアナルを見られながらお尻を突き出して打たれるのが好きです』なんて、口にするのも恥ずかしいことを言わされるのは、すでにその時点で羞恥プレイ状態でした。また、その話を聞く女性が全く普通の格好をしているので、恥ずかしさがさらに強調されていたと思います。 今冷静になって考えてみると、中野南口商店街からの急階段、ドアの前での待ち時間、そして普通の女性のような人の前での自分のマゾ性の告白というプロセスは、それだけでん万円のプレイ代金に値するくらいの見事な精神的SMプレイだったと思います。

ありささんとのプレイ
ありささんからは、生まれて初めて本格的な鞭打ちをしてもらい、中野クイーン閉店までずっとありささんの下に通ったのですが、ひとつ思い出深いプレイの記憶があります。僕の記憶違いでなければ、当時の中野クイーンの部屋には、備え付けの縄がありました。プレイ中にその縄を使うことがあると、プレイ終了時にミストレスが手際良く縄をまとめて、元あったところに戻していたのです。ある時、僕の両手、両足を縄で拘束して鞭で打った後、突然ありささんに命令されました。

『これ、片付けて』とありささん。

『・・・・・・』突然の予期せぬ命令に反応出来ない僕。

『今まで、片付けるの見てたでしょう』というありささんの顔には、意地悪〜な表情が浮かんでいたと思います。

それまで、プレイ後にありささんがスゴく手際良く縄を片付けるのを、手伝いもせず、ぼ〜と見ていた僕が、縄の束ね方やら、端末の処理の仕方を覚えていないのを承知した上でのお仕置きの始りです。

『何やってるの』という言葉と同時に、鞭がお尻に飛んで来ます。

『・・・・・・・』依然反応出来ない僕。縄のまとめ方は何となくわかる気がするのですが、端末の処理の仕方なんて、全然覚えてません。

それから、多分10分か15分の間だったと思いますが、しどろもどもの言い訳をする度に、鞭で叩かれ、叱られ、さらに鞭で叩かれながら、漸く数本の縄を片付けて、元々会った場所に戻す事が出来ました。このプレイで初めて僕は自分が無能力化される経験をしました。最近では、鬼様によってしょっちゅう無能力化されておりますが、最初の経験は強烈な印象となって残っています。自分の頭が一分間に一回転程度しか回らなくなる状況で、鞭で叩かれ、叱られるというのは、自分がマゾ以外の何者でもないことを自覚させられる貴重な体験でした。

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わがM人生の原点!

いや、これは懐かしい! 中野クイーンこそわがM人生の原点♪ 上の写真の回転円盤の磔台! 2番目の写真は『跪いて足をお舐め』の主人公ちかの親友としても書かれた、S女王様じゃないですか!
僕は幸いにも初めて訪ねた日からK子ママさんに可愛がられ、事実上のSM誌用専属Mモデル、兼新人女王様用の縄の練習台として起用されたのでした。最盛期?の80年代の頃です。
当時『スナイパー』誌が初めてミストレスの調教グラビアを始め、中野クイーンと提携してシリーズ化。そのため僕はいろんな女王様とグラビアで共演の恵みを得たのでした♪ 人気TV番組「イレブンPM」の取材ではあの円盤磔に全裸で拘束され、S女王様から強烈な一本鞭を受け、悲鳴を上げたものです(笑)。
ただし、下の写真の刺青の女王様は今は某クラブのママですが、中野クイーンではなく、後のフォービドゥンだかピクシーのメンバーだったのでは?
青春がよみがえりました。ありがとうございます。

Re: わがM人生の原点!

コメントありがとうございました 。
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