ケインおじさん復活の記(その1)
ちょっと前に思わせぶりな記事を書きましたが今日はその続編です。
このお尻写真、なつかしいでしょ? 99%の人はなつかしくも何ともないと思いますけど、、。 このお尻が、、
こういう状態になるまでのお話です。
何だよ、いつもの「鬼様にケインで叩かれました〜」系の自慢話じゃないかよ! と思った、そこの貴方! 今日はちょっと違うんですよ。 日本の社会と年金制度の欠陥と、人生の必然として訪れる老いとマゾの関係を解き明かす(?)科学的論文と思って下さい。
でも、最後はいつもの自慢話ですけど(笑)。
今日は 写真も少なくて文章長い上に、SMとは関係ない話の部分が多いので、忙しい人はパスして下さいね。
僕が大好きな作家の一人、藤沢周平さんの作品に「三屋清左衛門残日録」という小説があります。三屋清左衛門という、藩主側用人を務めた、言わばお侍としてはある程度成功した武士が、家督を息子に譲った後の日々を描いた、藤沢作品としてはちょっと変わった作品なのですが、その中にこんな記述があります。
『隠居して勤めを引き、子供に家を譲ることについては、仕事の上の心残りも余分な感傷の類も一切なかったつもりである。隠居してあとは悠々自適の晩年を過ごしたいと心からのぞんでいたのだ。
中略
ところが、隠居した清左衛門を襲ってきたのは、そういう開放感とはまさに逆の、世間から隔絶されてしまったような自閉的な感情だったのである。
中略
隠居をすることを、清左衛門は世の中から一歩しりぞくだけだと軽く考えていた節がある。ところが実際には、隠居はそれまでの清左衛門の生き方、ひらたく言えば暮らしと習慣を全て変えることだったのである。
勤めていたころは、朝目覚めた時にはもうその日の仕事をどうさばくか、その手順を考えるのに頭を痛めたのに、隠居してみると、朝の寝覚めの床の中で、まずその日一日をどう過ごしたらいいかということから考えなければならなかった。』
長々とマゾとは無関係な引用で申し訳ありませんが、実はこれ、この2年間くらいの僕の心境を見事すぎるくらい表している文章なんです。
僕が素晴らしい先輩&善良な仲間に恵まれて、まぁまぁ楽しく、忙しいサラリーマン生活に一つのピリオドを打ったのは、約2年前の話でした。その時の僕の気分は正に、隠居した三屋清左衛門のそれだったのです。
ところが、その直後に判明したことは、やはり三屋清左衛門が感じたみたいな、「暮らしと習慣を全て変えること」 でした。
例えばね、
出掛ける度に、「何故、何処に出かけて、何時に戻るか?」
をカミさんに報告しなくちゃいけなくなっちゃったのね!!
これ別に、カミさんが特に意地悪だとか、 疑い深いとかいう話じゃなくて、老人夫婦がお互いの安全を確保する為の原則みたいなもんなんですよね。
鬼様にお尻叩かれに行きます〜(^^!)、なんて言えないでしょ!
鬼様にお茶誘われました〜!、もダメでしょ!
ユリイカ行ってきま〜す! なんてとんでもない!
これが、ついこの間までは、一言の説明も必要無かったんですよ!
仕事! って言葉は偉大です!
お互いを傷つけることなく、全ての説明がついちゃっていたのですから。
それから、もうひとつの問題が「年金問題」なのです。
仕事生活中に、よっぽど悪いことしたか、元々大金持ちの家に生まれたかした場合以外は、ある年齢から先は多少の貯金と年金で暮らさなきゃいけないでしょ。 その年金がビックリするくらい少ないのよね! (若い人も一度は最寄りの年金事務所に行って、自分が将来受け取ることの出来る年金額をチェックすることをお勧めします。マジに!) それで、ある日自分がある年齢まで(平均寿命くらいまで)生きるのにいくら掛かるかを計算してみたのが、さらにいけなかったんですね。
年取ると、病気やら、想定外の出費の準備やら、色々と考えなくちゃいけないこともあり、死ぬまで掛かる費用って結構掛かるんですよね! それで、これから何十年も先まで、仕事の収入無しで、年金と貯金だけで暮らすことを考え出すと、ものの考え方まで消極的になっちゃうんですよ。
仕事しているとね、給料とか契約料とかいう「稼ぎ」があるでしょ。 稼ぎからは、生活費とかも出て行くけど、その辺はテキトーに誤魔化せば、SMする為のお金とか、ユリイカに行くお金とかは何とでもなるんですよね(自転車操業という人もいるけど(笑))、稼ぎがないとそういう気分になれないんですよね。
それで考えたのが、
『お尻叩き実技隠居』
つまりね、マゾは病気としては不治の病だから、マゾやめるのは無理として妄想したりブログ書いたりは続けるけれど、実技としてお尻叩かれるのは「隠居」することにしたんです。
ケインおじさんがそんな事できるわけないじゃん、とも思ったのですが、鬼様にお尻叩かれるのって、楽しいけど死ぬほど痛い目に遭わされるので、楽しい方の記憶は頭で押さえつけ、お尻が記憶している痛い方だけを思い出すと、「あんな目に遭わなくて済む」という安心感もあったりするわけです。
我ながら、「自分を褒めてあげたい」くらいの名案で、そのおかげでかなり平和でつまらない毎日を送っていたのですが、、、。
鬼様を甘くみてました〜!
お尻叩かれるのは、「隠居」していたものの、マゾは辞めておらず、従って鬼様からお誘いがあったり、御用を申し付けられた時は、わざとらしいのがバレバレの言い訳をして、出掛けていたある日、
「縄練のモデルやってくれないかな?」
というお誘いがあったのです。
マゾ関係者の方はお分かりと思いますが、縄練すなわち緊縛練習ですね。鬼様は元々緊縛には全くこだわりがなく、取り敢えず動けなくしておく、程度しか縄は使っておられなかったのですが、何故か最近縄に興味を持たれ、ユリイカの蘭花さんの指導を受けておられるのです。で、その縄練の縛られモデルを申しつかって、ある日ユリイカに行ったのですが、、、。
僕を縛り終わった鬼様が、
「本当に動けなくなってるか、試さなきゃ〜」
とか何とか言いながら、ユリイカに置いてあるケインで僕のお尻を叩き始めたのです。
頭というのは柔軟で、周囲や現在の状況に対応して考えを変えたり、調整出来るという特徴があります。人間が世間と調和して生きてゆくために必要な能力ですよね。
でもお尻は頑固で一徹です。特に僕のお尻は、鬼様に散々調教されて、痛みを受ける為に特別にチューニングされたお尻だったのです。
「本当に動けないか確かめるにはちゃんと叩かなくちゃ。」
とか言いつつ、鬼様のケインが痛みが蓄積されたお尻を容赦なく叩きます。鬼様って本当に人が痛がっている場所が分かるらしく、お尻を高く突き出した姿勢で縛られて動けない、僕のお尻の痛いところに何度も何度もケインが襲ってきたのです。
で、その結果僕のお尻に火が付いちゃったんです!!
というところでこの続きは、また明日ね。
このお尻写真、なつかしいでしょ? 99%の人はなつかしくも何ともないと思いますけど、、。 このお尻が、、
こういう状態になるまでのお話です。
何だよ、いつもの「鬼様にケインで叩かれました〜」系の自慢話じゃないかよ! と思った、そこの貴方! 今日はちょっと違うんですよ。 日本の社会と年金制度の欠陥と、人生の必然として訪れる老いとマゾの関係を解き明かす(?)科学的論文と思って下さい。
でも、最後はいつもの自慢話ですけど(笑)。
今日は 写真も少なくて文章長い上に、SMとは関係ない話の部分が多いので、忙しい人はパスして下さいね。
僕が大好きな作家の一人、藤沢周平さんの作品に「三屋清左衛門残日録」という小説があります。三屋清左衛門という、藩主側用人を務めた、言わばお侍としてはある程度成功した武士が、家督を息子に譲った後の日々を描いた、藤沢作品としてはちょっと変わった作品なのですが、その中にこんな記述があります。
『隠居して勤めを引き、子供に家を譲ることについては、仕事の上の心残りも余分な感傷の類も一切なかったつもりである。隠居してあとは悠々自適の晩年を過ごしたいと心からのぞんでいたのだ。
中略
ところが、隠居した清左衛門を襲ってきたのは、そういう開放感とはまさに逆の、世間から隔絶されてしまったような自閉的な感情だったのである。
中略
隠居をすることを、清左衛門は世の中から一歩しりぞくだけだと軽く考えていた節がある。ところが実際には、隠居はそれまでの清左衛門の生き方、ひらたく言えば暮らしと習慣を全て変えることだったのである。
勤めていたころは、朝目覚めた時にはもうその日の仕事をどうさばくか、その手順を考えるのに頭を痛めたのに、隠居してみると、朝の寝覚めの床の中で、まずその日一日をどう過ごしたらいいかということから考えなければならなかった。』
長々とマゾとは無関係な引用で申し訳ありませんが、実はこれ、この2年間くらいの僕の心境を見事すぎるくらい表している文章なんです。
僕が素晴らしい先輩&善良な仲間に恵まれて、まぁまぁ楽しく、忙しいサラリーマン生活に一つのピリオドを打ったのは、約2年前の話でした。その時の僕の気分は正に、隠居した三屋清左衛門のそれだったのです。
ところが、その直後に判明したことは、やはり三屋清左衛門が感じたみたいな、「暮らしと習慣を全て変えること」 でした。
例えばね、
出掛ける度に、「何故、何処に出かけて、何時に戻るか?」
をカミさんに報告しなくちゃいけなくなっちゃったのね!!
これ別に、カミさんが特に意地悪だとか、 疑い深いとかいう話じゃなくて、老人夫婦がお互いの安全を確保する為の原則みたいなもんなんですよね。
鬼様にお尻叩かれに行きます〜(^^!)、なんて言えないでしょ!
鬼様にお茶誘われました〜!、もダメでしょ!
ユリイカ行ってきま〜す! なんてとんでもない!
これが、ついこの間までは、一言の説明も必要無かったんですよ!
仕事! って言葉は偉大です!
お互いを傷つけることなく、全ての説明がついちゃっていたのですから。
それから、もうひとつの問題が「年金問題」なのです。
仕事生活中に、よっぽど悪いことしたか、元々大金持ちの家に生まれたかした場合以外は、ある年齢から先は多少の貯金と年金で暮らさなきゃいけないでしょ。 その年金がビックリするくらい少ないのよね! (若い人も一度は最寄りの年金事務所に行って、自分が将来受け取ることの出来る年金額をチェックすることをお勧めします。マジに!) それで、ある日自分がある年齢まで(平均寿命くらいまで)生きるのにいくら掛かるかを計算してみたのが、さらにいけなかったんですね。
年取ると、病気やら、想定外の出費の準備やら、色々と考えなくちゃいけないこともあり、死ぬまで掛かる費用って結構掛かるんですよね! それで、これから何十年も先まで、仕事の収入無しで、年金と貯金だけで暮らすことを考え出すと、ものの考え方まで消極的になっちゃうんですよ。
仕事しているとね、給料とか契約料とかいう「稼ぎ」があるでしょ。 稼ぎからは、生活費とかも出て行くけど、その辺はテキトーに誤魔化せば、SMする為のお金とか、ユリイカに行くお金とかは何とでもなるんですよね(自転車操業という人もいるけど(笑))、稼ぎがないとそういう気分になれないんですよね。
それで考えたのが、
『お尻叩き実技隠居』
つまりね、マゾは病気としては不治の病だから、マゾやめるのは無理として妄想したりブログ書いたりは続けるけれど、実技としてお尻叩かれるのは「隠居」することにしたんです。
ケインおじさんがそんな事できるわけないじゃん、とも思ったのですが、鬼様にお尻叩かれるのって、楽しいけど死ぬほど痛い目に遭わされるので、楽しい方の記憶は頭で押さえつけ、お尻が記憶している痛い方だけを思い出すと、「あんな目に遭わなくて済む」という安心感もあったりするわけです。
我ながら、「自分を褒めてあげたい」くらいの名案で、そのおかげでかなり平和でつまらない毎日を送っていたのですが、、、。
鬼様を甘くみてました〜!
お尻叩かれるのは、「隠居」していたものの、マゾは辞めておらず、従って鬼様からお誘いがあったり、御用を申し付けられた時は、わざとらしいのがバレバレの言い訳をして、出掛けていたある日、
「縄練のモデルやってくれないかな?」
というお誘いがあったのです。
マゾ関係者の方はお分かりと思いますが、縄練すなわち緊縛練習ですね。鬼様は元々緊縛には全くこだわりがなく、取り敢えず動けなくしておく、程度しか縄は使っておられなかったのですが、何故か最近縄に興味を持たれ、ユリイカの蘭花さんの指導を受けておられるのです。で、その縄練の縛られモデルを申しつかって、ある日ユリイカに行ったのですが、、、。
僕を縛り終わった鬼様が、
「本当に動けなくなってるか、試さなきゃ〜」
とか何とか言いながら、ユリイカに置いてあるケインで僕のお尻を叩き始めたのです。
頭というのは柔軟で、周囲や現在の状況に対応して考えを変えたり、調整出来るという特徴があります。人間が世間と調和して生きてゆくために必要な能力ですよね。
でもお尻は頑固で一徹です。特に僕のお尻は、鬼様に散々調教されて、痛みを受ける為に特別にチューニングされたお尻だったのです。
「本当に動けないか確かめるにはちゃんと叩かなくちゃ。」
とか言いつつ、鬼様のケインが痛みが蓄積されたお尻を容赦なく叩きます。鬼様って本当に人が痛がっている場所が分かるらしく、お尻を高く突き出した姿勢で縛られて動けない、僕のお尻の痛いところに何度も何度もケインが襲ってきたのです。
で、その結果僕のお尻に火が付いちゃったんです!!
というところでこの続きは、また明日ね。